すぐ下の欄で僕が批判した「にせ無宗教」の方々ではなく例えば共産主義者などの真の
「無宗教」を誇示される方々は先祖代々の宗教やお寺などとは縁を切っておられる場合
が多いと仄聞あるいは新聞訃報欄などから認識しています。彼等は葬儀をなされる場合
も無宗教形式が一般的だと思うよ。たしかに同訃報欄などを見ると、たまにお寺の類で
される場合もあるけどそれは故人の御意向にそむいたものか 、もしくは晩年での同主義
等からの「転向」であるのではないかと僕は考えます。
また己の「無宗教」をプライドを伴い自称される方は先祖の宗教(これもどこかの時代で
任意の先祖が改宗したものがほとんどですが)と生存中に縁を切っておかないと、たとえば
お寺から「やれ境内に門徒会館を建てるから」とか「庫裏とか本堂を増築・新築するから」
とかの類で布施の勧誘があります。
僕の親戚もこのことでの寺の甘い姿勢に対しプンプン文句を言っていました。何しろ各人の
布施金額を寺に貼り出したりして不特定に公表するんだから・・・・
あっ、話しがそれましたがその場合、布施を払えば(既成仏教の場合、かなりの高額が一般的とか・・)
その人はもはや「無宗教者」ではなくなります。親戚一同で布施の供出を負担しあう場合で
あってもそれは同じ。
むろん、その時点で「私は無宗教者だから布施は払わない。今後も然り。代替として生存中で
あれ死後であれ一切の葬儀・供養・法要は不要。悪しからず」で、なおかつその後も無宗教行動
を一貫していれば確かに無宗教の方でありましょう。だけど、世間体などからもそれは無理な場合
が多いのでないかと思うよ。
だから、いくら日本では口で「無宗教」とか「神仏を信じていない」と言う人達が多くても一応
この国はカテゴリー上は「仏教国」だよね。中学高校でもらった地図帳の中にあるモルワイデ図法での
宗教分布地図でも日本は明確に仏教国です。
無宗教を誇示される方々はそれぞれのご先祖の宗教と縁を切らない限りは自称「無宗教者」はただ
の思いこみだという気がします。
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