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 2006/03/25  猟犬マーカー(3)


時系列が相前後しますが、中国総合通信局も同サイトの中でドッグマーカーについての警告文を載せています。
ご紹介しておきましょう。
こちら
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狩猟犬・罠などに設置する狩猟用無線発信機についての注意

最近、狩猟犬・罠などに設置する狩猟用無線発信機の電波が、消防無線や列車無線などの重要無線やアマチュア無線に妨害を与える事例が多数発生しています。このような発信機は、総務大臣の免許がいらない微弱な電波を発射する無線機として通信販売等されていますが、実際は、微弱な電波ではない疑いが極めて強いと考えられます。

狩猟犬・罠などに設置する狩猟用無線発信機はアマチュア無線局として免許を受けることはできません。使用(開設)した場合は、不法無線局を開設したとして1年以下の懲役または100万円以下の罰金に処せられることがあります(電波法第110条第1号)。 また、警察や消防などの重要無線通信の機能を妨害した場合は、5年以下の懲役または250万円以下の罰金に処せられることがあります(電波法第108条の2)。

微弱な電波でないと考えられる猟犬用無線発信機(通称:ドッグマーカー)等を取り付けている場合は、直ちに取り外すとともに、電波が出ないように措置をお願いします。 (説明図あり)
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私の知る限りでは近畿総合通信局等も同様の警告画面を掲載しています。
そうですね、鉄道の大惨事は福知山線脱線事故が記憶に新しいですが、列車無線への妨害などのことを鑑みたら事態は深刻視すべきことは自明の理でありましょう。

 2005/09/18  猟犬マーカー(2)


加えて猟犬マーカーがなければ猟犬の山中遺棄で世間が迷惑するという現状もあります。微弱でない電波を使用するドッグマーカーは使っても違法だし使わなければかねてより世のひんしゅくをかっている猟犬遺棄になる可能性が大きいのです。 畢竟、迷惑行為の狩猟など最初からやるな!、これ、結論ですね。
猟犬遺棄等については当コラム過去ログ
こちらの画面上から6番目2003/Mar/15(Sat)付「猟犬もまた殺されたり捨てられたり」ご参照。
そして、大日本猟友会(本部・東京)自体が猟犬マーカーを肯定しているとも思われます。
こちら
>ハンターが置き去りにしたと思われる犬が弟子屈の国有林内で野犬化
>北海道新聞4月05日付朝刊より転載
の記事中の大日本猟友会の言い訳とも思えるコメント
>大日本猟友会(本部・東京)は「今は猟犬の首輪につける発信器もあり、良識あ るハンターなら置き去りなど考えられない」という。

もしかすると違法の疑いがあるかもしれないマーカー使用を「良識あるハンター」と同会は言ってるのでしょうか?重要無線への被害への懸念など 果たして眼中にあるのでしょうか?

※以下は9月30日の後記です。
新潟県庁も同県猟友会や同県の関連部署に広島県庁同様に警告文・通達文を送付しました。
こちら

同様に兵庫県の川西市役所も平成17年9月27日付けで(社)兵庫県猟友会川西支部長に対し、『電波法令遵守について』の文書を送付しました。

加えてこれも後記ですが、同17年12月7日付けで熊本県も同県猟友会長宛てに『狩猟における電波法令の遵守について(通知)』を突きつけています。

 2005/09/18  猟犬マーカー(1)


狩猟でよく使われる猟犬用発信器通称ドッグマーカーは アマチュア無線として許可されていません!
こちら
電波法令では無線は人対人が前提となることは言うまでもありません。
この問題はそもそも各方面の総合通信局を所轄する総務庁が防災無線などへの妨害電波の発生を鑑み打ち出したものです。狩猟にかかわる分野においては自治体では広島市役所がまず最初に反応しました。
こちら(最後部にある関東総合通信局・東北総合通信局による狩猟者らに向けた複数の警告サイト等も御参照)

続いて広島県庁も同県猟友会に対し警告文を通知しました。
こちら
県内の同県地域事務所にも同様に以下を通知しています。
こちら
加えて、青森県庁も広島県と同様の警告・通達を近日中に出すみたいです。
・後記(9月21日付けで青森県も広島県と同趣旨の通達を青森県猟友会宛てに通知しました。青自然第377号通達)

微弱電波なら合法といういわば言い訳についても中国総合通信局のより詳細な見解が明快に斬っています。同通信局見解の骨子は以下。
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※微弱電波の猟犬発信器というものを、当局は確認したことはありません。
関東及び東北総合通信局のHPに記載のとおり、猟犬発信器はアマチュア無線局として免許されません。
なお、免許を受けたアマチュア無線局であっても、猟犬発信器として使用することは、目的外通信や運用違反となり、使用できません。
また、※微弱電波ではない限り、猟犬発信器を使用したときは、不法無線局として罰則が適用される場合があります。
平成17年9月12日総務省 中国総合通信局
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ちなみに九州総合通信局も狩猟者に対し強く警告しています。
こちら

有害駆除ではなく、狩猟の大部分であるスポーツハンティングでも 猟犬マーカーを使ってあろうことか、それを例えば(狩猟の)「三種の神器のひとつ」とか言っている現状が実態のようです。
各行政は広島市役所や広島県庁同様にハンターや猟友会等への是正指導や主管課への通知が必要です。同じく、国・都道府県においても各自治体への毅然たる指針が強く望まれます。被害は消防など防災無線にも及んでいるのです。かりそめにも鉄道無線に妨害電波が出たりすれば大惨事の直因ともなりかねないことも憂慮されます。
もちろん、総務省と狩猟関連省庁である環境省・農林水産省・警察等との連携が不可欠であることは言うまでもありません。

 2005/08/03  サンタナ ハンコック ショーターEmisaries For Peace広島公演(その2)


さて、今回の目玉であるジャズの巨人二人の参加について。
9人編成で舞台勢ぞろいの同バンドに10人目、11人目の一時メンバーとして中央右に毅然と存在する二人のジャズの巨人の姿を見たときは感慨深いものがありました。大物ぶることもなく、さりげなくピアノやエレピにちょこんといる感じのハンコック65歳。そしてそのそばにて哲学者然とした様相でテナーやソプラノを手元に待機するショーター71歳。音楽史にも残るであろうジャズ界百戦錬磨のつわもの二人の面持ちは極めてリラックスしたものでありました。そこにもカルロスと両者の信頼関係がうかがえましょう。

しかし、今回の大物三者ツアーはあくまでサンタナバンドがメインであり二人はあくまで豪華な付けたし。
1981年のライブアンダーザスカイ(田園コロシアム等)でのハービー・ハンコックとカルロス・サンタナのスペシャル・バンドの時のような一部二部形式でパフォームしたほうがお互いにとって「三者大物対等ライブ」としての持ち味も十二分に披露できたのかもしれない。
すなわち、あの時は第一部がハービーが連れて来た1管のカルテットで数曲ほど同カルテットのみで演奏した後、サンタナがゲストとして二曲ほど客演しその後の第二部にて今度はサンタナバンド(ドラムは第一部と同じトニー・ウィリアムス)にハービーが客演の形での形態でした。もちろん、同バンドのボーカルと鍵盤奏者は敢て連れてきませんでした。デニス・チェンバースのドラム資質を鑑みたら当時のトニーに匹敵該当することは明白ですね。

また、1988年にはカルロス・サンタナ&ウェイン・ショーターを双頭リーダーとするツアーのための臨時編成バンドでの欧州公演がありDVD等でも記録化されていますが、今回もこの時のようにまったく新しいバック陣容(むろんこの時と同様ボーカリストは抜きで)で臨んでもまた上記1981年ライブアンダーザスカイ同様、大物対等ツアーとしての持ち味はもっともっと出せたものと思いましたね。

いずれにせよ今回の、既に完成されたサンタナバンド(しかも強力なボーカリストまで含んだ)への二人の割り込みはいくら百戦錬磨のジャズの巨人とは言えど、ソロ演奏時間や曲目によってはラテンパーカッションとの齟齬などやはり違和感を感じさせてしまう部分はあります。(これについてはカルロスは敢て今回もう一人のレギュラーパーカッショニストを連れてこなかったのはせめてもの救いではありましたが)
もちろん、それでも二人は年季のはいった職人芸できらびやかな音の装飾をこなしていたことは言うまでもありませんが、やはり「さらなる活躍を見たかった」の本音が私の鑑賞欲からどうしても惹起してしまいます。

だからこそ昨夜の場合、ハービーのピアノとショーターのソプラノサックスとの二人のみのデュオの曲目がわたし的には随一であったことは言うまでもありません。まさに熟練した魂の対話とでも形容しておきましょう♪

それからプロモーターにも一言。
公演の最初から最後まで同バンドの範疇での二人の客演であるならばいかにも三者対等公演であるかのような宣伝の仕方は反省材料であったと考えます。ポップ・ロック界の人気者サンタナバンドでもあるのだから、「サンタナメインで二人は客演」と明示したプロモートであっても実質完売の観客数には変わりなかったはずです。

ともあれ、親友カルロスとの真心からの共演に頑張ったこの二人のジャズレジェンドにあらためて大きく拍手を送りたいですね。上記で述べた形式での文字通りの三者同等ライブツアーがいつか見れることも願望しています♪

※当欄の前回の音楽コンサート評は2005/04/19 付「PMG(パット・メセニーグループ)広島公演 」。

 2005/08/03  サンタナ ハンコック ショーターEmisaries For Peace広島公演(その1)


6個下の欄の2005/05/05付「 プロモーターからのうれしい反応 」からの続編です。

で、昨夜2日、サンタナ ハンコック ショーターEmisaries For Peace広島公演行ってまいりました!もちろん会場は超満員。
メインはサンタナバンドでハンコックとショーターは客演とみるべきでありましょう。
同バンドとしてのパフォーマンスは、演目はけっこう異なれど基本的に前回の来日公演と同様の盛り付けですね。カルロスのギターと采配が相変わらず冴えています。(前回の来日公演は上から3番目の欄ご参照)
さて、6時半開演ぴったりでオープニングのサンタナバンド十八番「ジンゴー」からドラムのデニス・チェンバース率いるリズム隊は全開でした。
今回はその曲と「君に捧げるサンバ」を除けばいわゆる懐メロ名曲はプレイせず、ほとんどが最近発表の曲であったということもサンタナが過去の栄光など眼中に無く現在、未来に生きる音楽家であることの証左でありましょうか。

脇役としての頑張りには前回同様、デニス・チェンバースの怒涛の超絶技巧ドラミングソロに加え今回はベーシストのソロの枠も用意されていて速弾きベースインプロビゼーションから「イマジン」への昇華はドラマー同様、公演盛り上げに大きく寄与していたことも付記しておきます。
加えてもう一人の脇役でハービーが連れて来たアフリカ人ギタリストのリオネル・ルケエの歌付ギターソロもやったがスワヒリ語(?)の歌詞の中でさかんに「ヒロシマ」「ヒロシーマ」という語句があって聴衆を沸かせていました。多分、原爆被災者慰霊のオリジナル曲。 で、特筆すべきはギター音を奏でながらの別弦へのミュートタッピングで打楽器の音を同時進行で出す技はギター新機軸奏法。今後の同奏法の展開も楽しみです。

いずれにせよ1969年の「ウッドストック」以来、35年にわたりロック界の第一線に君臨するカルロス。しかし、それは惰性と安住を排し時に失敗作と謗られようとも常に前向きな姿勢及びジャズへのアプローチによる音楽的な切磋琢磨のたわものでありましょう。彼の持つスピリチャルな部分がその原動力であることは言うまでもありません。

 2005/07/05  一部有害捕獲で趣味猟を糊塗(その2)


下の欄にて言及した自称「和歌をたしなむ」、趣味猟ハンターと思われる人が私に突然、和歌をたきつけ返歌を要求しました。

某ハンター 
そま人の 住みたる村に 電柵は 檻の如くに 延々とあり


深山なり ふす猪の床や 趣味猟の 糊塗の電柵 つゆも見えざり

※深山(みやま)と読みます。
※「ふす猪(い)の床」についてはご関心あれば検索してみてくださいませ。

 2005/07/05  一部有害捕獲で趣味猟を糊塗(その1)


ある自称「有害駆除専門で趣味猟はしない」ハンターの方が「獣害防止の電気柵を越える物のみを射殺している」という意味のことをうそぶいていました。そんなことはありえなせんね。自らの趣味猟の体裁の悪さを有害捕獲で糊塗している典型例と見ました。
以下はやりとりより抜粋した私の見解です。
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はて?私が在住の広島県では、柵の内外にかかわらず趣味狩猟時であれ有害捕獲時であれ徒党を組んだハンターらは猟犬を伴い嬉々として撃ちにいきます。柵からかなり離れた山中まで入り込んで撃ちにいきますよ。むろん、猟犬は山中放犬。
広島に限らずいずれの県においても貴方の言うところの「柵を越えてきたものだけを撃つ」っていうことはありえないですね。それとも、またぞろ趣味猟糊塗のごまかしカバーアップですか?

それから、貴方、こんな見え透いたことを書くとは農民じゃないようですね。ま、農民といってもその規模は千差万別。実質、商工人や公務員ハンターが自称農民で自らのレジャー狩猟を正当化する例はたくさんありますからいくらでもごまかしはききますがね。
いずれにせよ、柵内へ入り込んだもののみを射殺というのは狩猟界ではありえない話。また、たとえ貴方が「自分はそうだ」と虚偽の強弁をしたとしても狩猟を観じて考察していく際はそんな小細工は捨象(※本質的でない種種の性質を捨て去ること)されてしかるべきです。
おそらくは「どうせ知りはしないだろうから」と高を括っての御記述だろうが、極めて見苦しい貴方の姿勢ですね。
道楽として殺生してるなら正々堂々と「ああ、趣味猟やってるよ」といえばいい。趣味猟、レジャー猟をやるならば世間からの白眼視は甘んじて受けるべきだね。

>都会の保護団体が何と言おうとも

はあ?貴方たちは都合が悪くなるとすぐに都会の保護団体について言及したがりますがそれも悪趣味糊塗の一環ですね。

趣味猟者らの横暴に怒り悲しみ呆れているのは主に地元の人らです。
また、私も保護団体とは無関係だしアンチ狩猟、アンチ猟友会はもっと幅が広いし無益な殺生への嫌悪感でいえば日本人の精神風土全体とも合致してきます。
自分たちへの批判をことさら狭い枠に印象付けようとするのも、いかにも後ろめたさがあるからですね。

参考までに当欄2005/03/20日付  「農作物被害の実態は精査が必要」等ご参照。

 2005/06/21  「言葉狩り!」の濫用(その2)


以下は前欄の付録ですが上述の補填の意味で、私が住む自治体のある差別語への対応及び高校生時代にお世話になった社会の先生のペンなる新聞投稿文への記憶をご紹介しておきましょう。

私の住む自治体が現在は著作権者である、合併前のある町誌の中に肢体の不自由な方々を指す「○○○」という用語が使われていました。後年、指摘を受けたその自治体の主管課である市公文書館の館長は「○○○は広辞苑にもあるから差別語ではない、したがって注釈はいれない」と居直りましたが、人道啓発の別局から「不特定も見る書物にいくらなんでもその言葉の使用は不適切。当の身体障害を持たれた市民・読者の気持ちも勘案した対処が必要」との指摘を受け市議会において総務局長(公文書館所轄)が方針転換を表明、つまり人権に基づく包括的な注釈明記を表明し現在でも図書館、学校など公的施設におかれてある当該の町誌へは注釈がついています。

また、かつて偶然通勤途中の満員電車の中で読んだ高校時代の教師の毎日新聞への投稿の中で、その数日前に同紙の記者が何気なく使用した「バカでもチョンでも..」という言葉はやはり不適切との指摘を見たことがありますね。当時は今日のようにそのフレーズは明確に放送・出版には不適切であるとの意識はメディア内でも徹底はされていなかったみたいですね。
回想の回想ですが、その新聞投稿を読みながら高校の授業の中で、ある同級生(彼はしょっちゅうほかの場でも朝鮮人差別発言を繰り返していた)が同国人を揶揄した不適切発言をした際、ふだん温厚なその先生が顔色を変えて大声で一喝されたことを思い出しました。

 2005/06/21  「言葉狩り!」の濫用(その1)


「差別語に別意がある場合は差別語にあらず。意識過剰は言葉狩り」との意見があるようですね。例えば、今は明確な差別語として出版・放送等では使われない「バカでもチョンでも」。いわく「小学館の新選国語辞典によるとちょんは朝鮮人を指すのではなくあたまの悪い事を指す。だから、差別語ではない」・・・
同様にメディア等では使用されていない「ちょんばれ」。いわく「古語辞典等によるとちょんの語源は短い時間。したがってこれも朝鮮人を示しているのではないから朝鮮蔑視語にあらず」などなど・・・
しかし、それらはいずれの単語であれ差別のほうの意味のほとんどは辞書に掲載されていないのは当たり前であることを鑑みない、都合のいい蔑称擁護ですね。

また、それらの差別語居直りは「それは言葉狩りだ!」の濫用につながると考えます。そもそも言葉というものは長い歴史の中、使用上の様々な不具合等が事由で自然に淘汰されてきて現在があります。それは数多くの死語と呼ばれる語彙の存在からしても明らかですね。そして、それは未来に向けても然りなのです。

加えて、 「それは言葉狩り!」の濫用は由々しき事態をも誘引します。例えば敢て明記はしませんが中国人へのカナ(かな)での某蔑称或いは朝鮮人への上記「チョン」以外の蔑称などについてですが、確かに辞書等を見れば語源等には差別ではない別の意もあります。派生語の観点から調べても然りです。しかし、だからといってそれらの忌みすべき蔑称を一般語と同一視するのはあまりに無定見な差別助長行為ですね。そして、悪意の有無にかかわらず確信犯的にその論法での差別語正当化が大手を振って跋扈していることも残念ながら否めない事実です。私たち日本人がアジアと真の友好が残念ながら構築できていないとの指摘もここらあたりにも由来するのかもしれません。

言葉は優しい毛布にもなれば逆に刃物にもなりえます。現代に生きる私たちは特に後者ともなりうる言葉の使用についてはすこぶる慎重になるべきですね。足を踏む側の論理・体験だけではなく踏まれる側の立場を考慮した選択・淘汰が望まれることは言うまでもありませんし、それもまた民度を高める一つの英知にもなりえると考えます。

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